隊員インタビュー

旭川市地域おこし協力隊
デザイン活動推進員
上田 カオルさん

デザインの力を地方都市のまちづくりに

兵庫県出身。大阪でグラフィックデザインの仕事を長年務めました。最後は化粧品メーカーのインハウスデザイナー(事業会社内でのデザイナー)として、商品開発からディレクション、展示会のイベント会場の装飾、CI(コーポレントアイデンティティ)のブランディングまで手がけました。仕事を通じて、デザインの力を実感しました。顧客はエステティックサロンなど、BtoBの取引が多い職場だったので、商品力と営業力で販路を広げていきましたが、デザインはその入口として商品の第一印象になることを学びました。
デザインチームのみならず、会社全体を統括する立場になって、現場よりマネジメントの業務が増えてきたため、「まだまだ自分らしく働きたい」と考え、思い切って14年間務めた会社を退職しました。20~40代は大都市圏で生活していたので、漠然と地方都市でのんびり暮らすことを考えていました。そして移住するなら憧れの北海道という思いが強くありました。「自然、雪、食べ物。北海道の魅力は尽きません」。銭函、江別、千歳、深川など大都市の近隣のまちを中心に視察しました。

心強かった先輩移住者からのアドバイス

旭川市の印象は、インフラがほどよく整備された地方都市という印象でした。駅前に大きな商業施設がありますが、「ちょっと外れるとシャッターが閉まった商店が多いな…」という地方都市共通の課題を抱えていることを知りました。それでも自然に恵まれているし、人生の次のステージをこのまちでスタートさせようと移住を決意しました。
地域おこし協力隊に採用されてから2カ月は、引っ越しの手続きなどで忙しい日々でした。電気、水道、ガスなどライフラインの手続きから始まり、金融機関、クレジットカード、生命保険などの住所変更がどっさり。マンションを持っていたので、物件を管理してもらう不動産会社も探しました。大阪を立つめどがついてからは、北海道での暮らしに必要な生活費を計算しました。いまの時期はどんな服装がちょうどいいのかなど、先輩移住者に様々なアドバイスをもらいました。滑り止めのついたスノーブーツは旭川に来てから購入しました。

デザインは特別なことじゃなく日常にあるもの

デザイン活動推進員として着任したのは2023年11月から。明治中期に建てられたレンガ造り倉庫を再利用した上川倉庫内のデザインギャラリーを拠点に、域内外の多様なクリエイターの交流拠点として活用していくコーディネーター役です。手始めに着手したのはSNSの活用。イベントの告知など積極的に更新し、若い世代が申し込みやすいよう、応募フォームを作成しました。イベントのチラシは、もちろん自分でデザインしています。 「デザインギャラリーの知名度を上げ、若い世代や子育て中のファミリーにもっとここを利用してもらいたい」と語る上田さん。ユネスコ創造都市ネットワークにデザイン分野で加盟認定を受けた旭川市は、まちづくりにデザインの視点を取り入れ、歴史、自然、産業、食などこの地域が持つ様々な魅力を発信しようとしています。それは壮大なプロジェクトに聞こえますが、上田さんは「デザインって特別なことじゃないんだよと、市民の人たちに伝えたい」と語ります。例えばお弁当作り。誰のために作るのか、彩りや栄養バランス、食べるシチュエーションなどを考えて、きょうのお弁当の献立やレイアウトを考えるのも日常の中での立派なデザインと語ります。
移住して半年。一冬過ごした北海道の印象を「雪、サイコーです」と語ります。スーパーに並んでいるじゃがいもの種類の多さや、ブランド豚のおいしさ、海産物の安さに驚いたり、毎日が発見です。お気に入りはコープの納豆とセイコーマート。
「旭川デザインプロデューサーなど様々な方とお話をする機会があり、みなさんこのまちを盛り上げたいという情熱を持っていることを感じます。そうした人たちがデザインギャラリーに集い、新しい文化を共に発信していくことができれば」。将来の夢は北海道で「ものづくり」をしていくこと。そのために、いまは展示会やワークショップ、セミナーなど地域おこし協力隊の仕事を通じて、この土地で人脈を広げるのが目標です。

旭川市地域おこし協力隊
まちづくりプランナー
伊ヶ谷 大樹さん

家族との北海道生活に幸せをかみしめて

出身は千葉県で、前職は首都圏のスポーツ施設で働いていました。学生時代からトレーナーの経験があり、運動しながら楽しく人と接する仕事にやりがいを感じていました。28歳で結婚し、当時働いていた都心のスポーツ施設では、指定管理者として、行政と連携しながら地域のスポーツイベント運営にも携わりました。この時の経験が、旭川の中心市街地の活性化を目指す「地域おこし協力隊」の仕事につながっています。
30代半ばで長男が生まれてから、マイホームを持つ夢を持ちました。地元の千葉で土地を探し、ハウスメーカーも目星をつけて、ローンを組む準備までしたところで、「果たしてこれでいいのか?」と立ち止まりました。のびのびとした空間で、家族と庭でバーベキューをするイメージでしたが、首都圏ではせまい土地にギュウギュウの家しか建てることはできません。仕事は充実していましたが、別の生き方もあるんじゃないかと考えるようになりました。

決め手は都市機能が充実した安心感と暮らしやすさ

妻の実家が北海道で、長男を里帰り出産したことが北海道移住を考えるきっかけになりました。妻の実家は旭川近郊の町なのですが、冬の吹雪の日に旭川まで通院するのは苦労しました。移住するなら、医療や学校など都市機能が充実していて、できれば空港の近くがいいなと肌感覚で実感しました。 仕事は、北海道に移住しようと本気で考えるようになってから、探し始めました。いろいろ調べる中で「地域おこし協力隊」のことを知りました。妻の実家に近い旭川は第一希望でしたが、競争率が高いだろうなと思ったので、他のまちもいろいろ視察しました。旭川が募集していたのは、まちなかの活性化を目指す職種だったので、自分の経験が生かせるのではと考えました。応募からオンライン面接などを経て合格の通知をもらい、移住するまで約半年間で、計3回は旭川に来て視察しました。これから働くまち、家族と暮らすまちを自分の目で確かめたかったからです。
滞在中は駅前のホテルに宿泊したので、旭川は都会だなという印象でした。そしてラーメンをはじめ、食べ物がおいしい。子どもと遊べる大きな公園もたくさんあるし、デイキャンプやバーべキューができる自然もいっぱい。首都圏では人気の公園には人が集中するので、家族でゆっくり遊ぶことはできません。最初はディズニーランドを懐かしんでいた息子も、最近は東光スポーツ公園で遊ぶのに夢中でもう懐かしいと言わなくなりました(笑)。

コロナ禍のユーチューブで率直にレポート

地域おこし協力隊になった1年目に、新型コロナウイルスの感染が広がったので、積極的に外で活動することができませんでした。そこで、家で始めたのがユーチューブです。旭川のPRというよりも、自身の移住経験を率直な言葉で語りました。東京の移住フェアでもそうしたスタンスで、移住を検討している人たちにアドバイスしています。皆さん、気にするのがやっぱり冬の生活のこと。除雪や屋根の雪下ろし、雪道の運転、光熱費、灯油代など。私の感覚からすると、「覚悟を決めているなら、思ったほど大変じゃないですよ」と伝えています。最近は、スーパーや病院の受付、公園で子どもと遊んでいると、「いがっちさん(伊ヶ谷さんのニックネーム)ですよね?ユーチューブ見てます」と声をかけられる機会が増えました。登録者100人を目標に始めたユーチューブチャンネルの登録者は600人近くまで達しています。
コロナが収まってからは、北海道音楽大行進、大道芸フェスティバル、北の恵み 食べマルシェ、旭川冬まつりなどイベントの様子を収録しています。週3回の更新を目指しているので結構忙しい(笑)。旭川ってまちなかのイベント多くないですか?でも、ネタに困らないので、助かっています。

移住者や観光客向けのまちなかツアーも

まちなかの活性化に向けての仕事では、私がアテンド役になって、移住者や観光客に中心市街地を案内するツアーを行っています。旭川のまちなかは、商業エリアや歓楽街がコンパクトにまとまっていながら、自然豊かな公園や川もあり、見どころがたくさんあります。たっぷり一日使うくらいのツアーになります。

夢は地域の子どもやお年寄り向けダンス・運動教室

いまは念願のマイホームを旭川に建てて、起業準備中です。スポーツインストラクターの経験を生かし、子どもからお年寄りまで楽しみながら運動に親しんでもらえるダンスと体操教室をやってみようと考えています。昨年から地域の商店街でダンスのイベントを主催したりして、手ごたえも感じています。移住者の交流会でも子どもたちにダンスを指導しています。運動をすると子どもたちは本当に表情が豊かになります。それはお年寄りも一緒で、高齢者の虚弱予防にも取り組んでみたいと考えています。
自分の子どもと一緒に色々な体験をすることは、今しかできない貴重な時間だと思います。朝の通学時も学校まで一緒に行っているのですが、長男の友達がどんどん合流して集団登校みたいになって楽しいですよ。昨年次女も誕生しました。家族との時間を大切に、北海道生活を満喫しています。